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この作品が、貴方の女神性を刺激できたら、嬉しいです。


 From Amari

[シリーズ全体に添えて]

第一作『虚空』の執筆に入ったのは1995年のことでした。ですがその原型は、短大在学中の19才の頃(1992年当時)に気ままに書き綴っていた、自分でもそれが何になるか分からない創作ノートの様なもの。95年に本腰を入れて編集・追記をしたというのは、その頃になってようやく気づいた、小説を書くという行為が、自分の内側にあるものと心地よい共鳴を生み出すという現象を自覚してのことでした。

93年・21才の時・・念願だったニューヨークへ、会社の夏休みを利用して僅か2週間の短期留学をしました。その空気に刺激され、「誰にも憚られることなく、自分らしく自由に生きる!」という決意を固めて帰国し、三ヶ月後に退社。小説を書き乍ら好きなことをして、「いつか」めでたくクリエイターとして成功することを安直に夢見て(笑)、その「仕込み」生活をするために実家の親元に帰りました。

私が一般的な軌道を外れ始め、規格外のインディゴな自分を生き始めたのは、それからのこと。。今思えば不思議な出会いの数々。女神や「星の仲間」たちとの繋がりは潜在的にその頃、結ばれていた様です。けれど本人は知る由もなく・・ニューヨーク的な自由人を目指してひた走りました。若いって本当に大胆、そして怖い者知らずです。それまでの夢は学者でしたが、それを諦めた反動も相俟って、自分はアーティスト肌なのだと、自己評価を大変換させたのです。

バンドを組んでロックをやろうと思い立つと、一月で30曲も作詞作曲をしました。小説を書き、観劇や一人旅に忙しく。かなり独りよがりでエキセントリックな、あれもまた一つの青春のかたち。そんな生活がフル回転し始めた22才の頃(1995年)、それまでの自分の心の軌跡を振り返るように、細々と書き続けていた文章を『虚空』として編み直すことを始めました。

自分とほぼ同じ年齢の主人公「波子」を、大学三年という、短大生だった自分には無かった現実の中に設置し、人生を模索する彼女の目線で語り始めました。舞台は自ずと、私自身が学生時代を過ごした横浜になっていました。

ある意味でこの物語は、平行現実です。作家にとって作品とは、自分自身の現実世界と、理想世界の中間を描いたものだと言います。確かに、そうかもしれません。これが理想だとは決して言いませんが、自分の分身が自分が辿ったのではない「もう少し楽しくてワクワクする世界」を、目一杯自分らしく生きたとしたらどんな風だろうかと・・『虚空』はまさにそういった意味で自己の投影であると言われても、否定するつもりはありません。

続くシリーズの作品たちは『虚空』で展開した世界の中、キャストたちが自ずと動き出すので、それを観察者の目線で綴ったような感覚です。30才を過ぎて書き始めた『ハピの巫女姫』や『ガイアナ神謡集』も勿論、そういった作品の自律性の水流をただ追うように執筆しています。ですので、この『虚空』だけが安麻里の作品として唯一、マインドの稼動が他の作品よりも多かったかと思います。それでも、第二章、三章と進むうちに、キャストたちの自律行動が始まっていたのも確かです。

言い訳のようですが(笑)、そういった意味で『虚空』は余り、読者をわくわくさせたり、次の展開を期待させたりする小説では無いと、自分では思っています。次に書いた『ミサオ』もやや、そんな気がします。ですが、以後のシリーズの作品たちは既にハピやガイアナにも通じるようなドラマ性と耽美主義の香りで、かなり楽しめるものになっていると自負しています。どうぞ、『虚空』『ミサオ』は少々のご辛抱で・・・読み進めてください(笑)。

99年に一度、『虚空』に大幅な改訂を加えていますが、その際、95年の執筆時にはまだ体験していなかった多くの要素が流し込まれ、作品の個性は大きく変わりました。特に友人の自殺と、その傍らで自分自身もウツに陥っていたこと、それから数年間這い上がることが出来ず、策を労しては更に混線・迷走していた自分自身の一時代の心の低迷を刻み込む形になり、それまでに無かった「死」のテーマが、新たに作品に影を落とすことになりました。

『ミサオ』の次に配置している『水の男』は、実際の執筆はこのシリーズの最終部である長編『聖娼』の直前で、この頃には、かなり筆が滑らかになって来ています。以前発表した折り、ネット上の読者さんにも、試しに送った出版社の編集の方にも、評判が良かった自信作です。・・・と、作者みずから解説するのも何だか気恥ずかしいのですが(笑)、どうぞシリーズをお楽しみ頂けますように。。

最終作『聖娼』は、三島由紀夫のエッセイをきっかけに、2002年にユング派心理学者コルベット博士の著書『聖娼』に出会い、女神と女性性のダイナミズムに覚醒したその年の暮れに、書かずにはいられない気持ちで執筆に入り、それによって20代をかけて綴っていたこのシリーズを終幕させることになりました。私なりの女性性とセクシャリティへの追求の道のりが、ある意味でここで一つの答を得たと言えます。

 

『聖娼』を書き上げた翌月には離婚をして、さらにその翌月には、いよいよ女神と正面から向き合うことになりました。『ハピの巫女姫』の執筆のスタートです。そんな風に、私の創作活動は歩みを進めて来ました。

聖と性と生・・そのトリニティを全て知り尽くしたい。融合させたい。そんな主人公「波子」の、身体を張った模索と迷走、そして光明の道筋を、どうぞ彼女自身の黎明期、いまだ青く憂鬱な大学時代からお付き合い下さい。最終作では、彼女も一児の母となります。『ハピ』や『ガイアナ』にも通じる女性の変容と、セクシャリティの奥に隠れた女神の秘跡を、波子という一人の現代女性の魂と肉体の一代記を通じて、共に味わって下さい。

貴方の女神性を刺激できたら、嬉しいです。

作品の奥に流れ続ける大きな潮流から、それを尤も素直に体現する女神の名前をこのたびの刊行において、総タイトルとさせて頂きました。

Love and Grace,

Amari

March, 2010


 

現在 販売をお休み中です

第1巻

長編 第一部 「 虚空 」

大学三年の秋を迎えた波子(私)は、女友だちの清子(さやこ)を敬愛し、8歳上のジャズギタリスト秋一と恋人に似た関係を築きながら、恋愛とは、人生とは何か、模索する日々を送る。倦怠感の中で迎えた就職活動、性、そして死について悩まされながら、自分だけの生き方を探し、やがて卒業を迎える。

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番外 短編 「 ミサオ 」

思春期に病死した美貌の父親への恋慕から、生身の男を愛せなくなってしまった主人公、みさお。彼女がある初夏の日、横浜の公園で出逢った和樹は、自分を愛撫する「飼い主」の家を渡り歩く猫のような男。和樹の美貌と人間離れした性質が操の心を動かすが...。和樹のかつての「飼い主」として、『虚空』の秋一が登場する。

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番外 中編 「 水の男 」

秋一と波子が出会う二年前、そして和樹と操が出会う三年前の、冬の横浜で...19歳の和樹は、26歳の秋一と出会っていた。未だ若かった二人が、戸惑いながら深めていった愛と絆を描く、男二人のラブストーリー。二人の各々の個性や人格の形成課程を描出。

『アフロディーテ』第1巻

原稿用紙:約420枚分

長篇1・短中篇2作を含む

(一般的な単行本1〜2冊分)

1、500円  

 

第2巻

番外 ごく短編 「 ユジュ・サヤコの日記 」

『虚空』でヒマラヤに消えた清子が、生きて戻った...ニューヨークに渡って数カ月経った波子が、ニュージャージーで清子と再会。のちに清子の伴侶となるマナブと清子の小話でもあり、次作、長編『愛餐』から始まるニューヨークでの物語への布石でもある。わずか七日間の清子の日記形式。

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長編 第二部 「 愛餐 -- aisan 」

『虚空』の主人公、波子と秋一がニューヨークに渡って一年が過ぎた。そこに、和樹が一夏を過ごすことになり、波子は操にその男を托される。渇望を満たすべく常に彷徨する和樹のエロス(性愛)が、波子が求めるアガペ(博愛)と拮抗し、もつれあう。江崎と良介、清子など、『虚空』からニューヨークに渡った人々に加えて、現地の新たなキャストも登場。キリスト教やギリシャ哲学を絡めて。テーマカラーは緑黄色。

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長編 第三部 「 聖娼 -- seisho 」

秋一が去ったニューヨークで、無意味な疑似恋愛、同性愛者アレックスへの恋慕、奇跡の声を持つシンガー「スカイ」との出逢い、和樹との再会、そして新たな恋...と遍歴を重ねつつ、大学院卒業に向け思想史の論文をまとめ、N.Y.での日々に区切りをつけた波子を、人生の不条理が次々と襲う。波子は誰と、何を目指して生きることを決めるのか。ニューヨーク、パリ、横浜を舞台に展開。古代女神信仰やユング心理学などを絡めて。

『アフロディーテ』第2巻

原稿用紙:約 540 枚分

短篇1・長編2作を含む

(一般的な単行本で約2冊分)

2、000円  

 

 

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